進化し続ける「おばあちゃんの味」。時代の変化とともに進化し続ける田中青果の秘訣を聞いた|HFT11

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留萌市の田中青果が開発した夜のサラダ3種類
2021-09-29

 

「北海道食宝」13回目の掲載を迎える今回は、北海道のお漬物といえばここ、「田中青果」さんです。


青果という名前を存分に活かしたニシン漬、お漬物、ピクルス、そして“夜のサラダ”と、次々に革新的な取り組みで伝統の味を現世に伝えるだけでなく、時代に合わせた商品を展開しています。


そのスタイルにたどり着くまで、漬物名人であった“おばあちゃんの味”や夫婦二人三脚での商品開発への情熱など、多くのファクターがあり、それを形としてこられた「丸タ田中青果」さん。


今回はその「情熱」と今後の取り組みについて迫りました。


先ずは同社の歴史と共に、田中さんのインタビューをお読みください。



丸タ田中青果の歴史


昔の丸タ田中青果の店舗画像(田中移出問屋時代)
〔丸タ田中青果の前身「田中商店」〕


“にしん漬け”は北海道において、重要な伝統食文化の一つです。


代々受け継がれてきた“にしん漬け”の味を守り続ける家庭も多くあり、親から子へ、子から孫へと製法が継承されています。


寒さ厳しい北海道の冬に良く食べられる“にしん漬け”。


にしん豊漁の時代から現在まで続く家庭料理として、根強いファンも多く、北海道に根付いた郷土の味です。




さて、今回ご紹介する「丸タ田中青果」さんは、お祖母さんから伝承された“にしん漬け”を商品化し、販売している留萌の老舗です。


丸タ田中青果の主力商品、やん衆にしん漬け
〔やん衆にしん漬け〕


独自の製法によって凝縮された“にしん”と“野菜”の旨みが特徴の看板商品「やん衆にしん漬け」は、道内のみならず、全国の物産展でも人気の商品となっています。


現在では“にしん漬け”を始めとした漬物類を中心に展開している「丸タ田中青果」さんですが、元々は青果の取り扱いを中心とした青果移出問屋でした。


昭和33年に現在の社長、田中欽也さんの先代である田中常男さんが「株式会社 丸タ田中青果」を設立しています。


昭和40年代頃の丸タ田中青果の店舗
〔昭和40年代頃の店舗〕


その後、地元増毛町で有名な漬物名人であったハマさん(現在の社長、田中欽也さんの母方のお祖母さん)から「漬物をやりなさい、絶対に売れるから」と言われたことが切っ掛けとなり、常男さんがハマさんの元で修行。昭和49年に「漬物部」が設立され、漬物の製造・販売が始まっています。


しかし、北海道の郷土料理の味を全国に広めることが可能となる“にしん漬け”の完成までには、まだ多くの時を要しました。常男さんはハマさんの“にしん漬け”を食べた時に「この日本一美味しい漬物を全国に販売したい」という夢を持ちましたが、その夢は息子である欽也さんへと託されます。


丸タ田中青果の代表取締役社長である田中欽也さん
〔代表取締役社長の田中欽也さん〕


そして、父、常男さんの夢であった全国に届けられる「にしん漬け」の開発に挑戦。時間の経過と共に味が変化してしまう「にしん漬け」の発酵のコントロールに多くの時間を費やし、15年もの長い年月を掛けて、お祖母さんの味を継承した「やん衆にしん漬け」が完成したのです。


丸タ田中青果のピクルス
〔販売中のピクルス商品(一部)〕


現在は欽也さんの妻である美智子さんがピクルスを担当し、バラエティーに富んだラインナップにて漬物の販売を展開しています。




「夜のサラダ」とは?


夜のサラダのパッケージ
〔「夜のサラダ」パッケージ。右下は文中の①②③〕


鷹栖町で野菜生産を行っている原崎農園が主体となり、丸夕田中青果とREA(リテイル・エンジニアリング・アソシエイツ)が参加し、『北海道肴漬物アカデミー』を発足。


道内在住の50代の女性層や夫婦をターゲットとした「酒の肴になるプチ贅沢漬物」をコンセプトとして「夜のサラダ」シリーズを開発しました。


ラインナップは「①ビーツと卵のピクルス」、「②ラディッシュのエシャロットドレッシング漬」、「③ニンジンのオイル漬」の3種類。


会議の中で出た「アラフィフには、包丁どころか皿さえ出したくない日もあるのよ。」という言葉が切っ掛けとなり、開発・商品化された「おつまみ漬物」です。


原崎農園さんの旬の野菜を中心とした優れた“素材”、丸タ田中青果さんの“技”によって、わがままな大人をも満足させる、絶品のおつまみが完成しています。


お酒に合う味を追求し、“美味しく”て“お洒落”な大人のための「夜のサラダ」です。


現在、販売に向けて準備が進められています。(個別オーダーのみ対応中。但し、生産調整が可能な場合のみ)


令和2年度のノーステック財団の「地域産業クラスターものづくり支援事業」を活用した開発商品です。


 

田中青果の田中取締役にインタビュー

株式会社丸タ田中青果 取締役 田中美智子さん
取材:ライズ北海道  山本、林(撮影)

野菜を愛でるカフェ「Love Vegetable TANAKA」にて

留萌市の丸タ田中青果の田中取締役
〔田中青果 田中取締役〕


山本)本日はお時間ありがとうございます。とてもお洒落な店内ですね。(留萌市栄町2-4-24「Love Vegetable TANAKA」)


田中さん)ありがとうございます。内装にもこだわったのでうれしいです。


山本)お漬物をランチで食べるというテイストなんですね。


田中さん)そうなんです。Love Vegetable TANAKA(ラブ ベジタブル タナカ)という店名は、読んで字のごとく野菜を愛でるというコンセプトを表現しました。ルーツである野菜にもう一度立ち返ろうと。


山本)まさに田中青果さんだからこそですね。


田中さん)はい。ピクルスなど色々手掛けている中で、一度「野菜」そのものを見つめなおしてみようという話になりまして。これまで培った野菜に関してのノウハウを皆さんに提供していく場所として2年程前に立ち上げました。


お洒落なラブ・ペジタブル・タナカ店内と看板
〔お洒落なLoveVegetableTANAKA店内と看板〕


山本)コンセプトとして“野菜”を前面に出していくというのは、なかなか無いですよね。


田中さん)そうなんです。野菜そのもの、ということで無添加にこだわって体に「やさしく」野菜を摂れるというコンセプトで運営しています。


山本)原点、と仰いましたが御社の歴史は大変長いですよね。


田中さん)主人方の祖母が大元のルーツです。昭和33年に、主人の父親が野菜問屋として会社法人化しました。留萌管内では初の札幌卸売市場の番号取得をして、八百屋業では相当売上があったようですね。当時は給食センターや自衛隊などに卸していたそうですよ。


山本)となると、その考え方が脈々と受け継がれているんですね。


田中さん)はい。札幌などからまとめて仕入れて、増毛の倉庫に保管していたそうです。しかし、そうした形をとるとどうしても余剰品がでてくるんですよね。それをただ捨てるというのはよくないよねと。そこで始めたのが漬物だったんです。ただどうしても大手には敵わないということで、地の利を活かした商品を考えていかねばと、「ニシン漬」に重きを置くようになりました。


山本)漬物に特化していくという方向性ですね。


田中さん)創業のルーツでもある旦那のおばあちゃんが「ニシン漬の名人」だったんです(笑)。そのおばあちゃんの漬物をもってしてお義父さんが商売として着手しました。


山本)なるほど、いわゆる「町の漬物名人」ですか(笑)。


田中青果の加工場と外観
〔田中青果の加工場と外観〕


田中さん)はい(笑)。ただ、ニシン漬って「発酵食品」なので流通自体が難しいんです。袋が膨らんでしまうなどいろいろな問題点が多いんですよ。そうしたこともあり、主人の代でしっかりとニシン漬に向き合い、10年以上の年月をかけて開発をおこなったんです。


山本)僕だったらすぐに諦めてしまうかもしれません(笑)。


田中さん)(笑)そこは主人の性格もあるかもしれません。やはり自分たちの稼ぎとなる商品で大手メーカーさんと戦うことを考えたときに、「独自性」を確立することは必要でした。当初は反対が多かったんですが、とあるタイミングで失敗しない方法を見つけたんです。そこで、札幌市内の催事場に持参しました。


山本)なるほど。反応はどうだったんですか?


田中さん)とても良い反応がありました。「あれはどこのニシン漬だ」と。お客様の声によって三越をはじめ百貨店に入るようになったんです。そこから火がついて、留萌に買いに来てくださる方も増えました。ただ、地元留萌の方に「漬物屋どこですか?」と聞いても、当初地元の人は知らなかったんです(笑)。


山本)なんだか、逆輸入みたいなイメージですね(笑)。そこまでいくのに旦那様との中で大変な思いもあったんじゃないですか?


田中さん)15年間、二人で覚悟を決めて向き合ったので、夫婦というよりも「同士」に近いですね。話すことといったら「ニシン漬」のこと。喧嘩するとしてもニシン漬のことぐらいですかね(笑)。


独創的な漬物が並ぶ田中青果の店舗内
〔田中青果の店舗-独創的な漬物が並ぶ店内〕


山本)プロ意識が本当に高い!そうした活動の中で田中さんも“ものづくり”に携わられたんですか?


田中さん)決して私が生み出したものではないので、“ものづくり”は旦那に任せる部分が大きかったです。ただ、間近で見てきた人間として、田中青果という屋号である以上は野菜のスペシャリストになりたいと思っていました。自分にできることは何だろうか?と考えたときに色々と勉強する中で「ピクルス」かなと。


山本)すごく斬新ですよね。そうしたバイタリティと想いで新商品の開発が進んでいったんですね。そうしたお考えから「夜のサラダ」を?


田中さん)そうなんです。私自身お酒が好きということで、「女性・お酒を飲むシーン」をターゲットの中心にしました。そうした中で罪悪感のないものをということで、開発に至ったという経緯です。


山本)「夜のサラダ」シックなデザインで素敵ですよね。


田中さん)デザイナーさんにも入ってもらいました。特に女性というターゲットもありましたので、デザインにはこだわった商品となっています。


山本)なるほど。ノーステック財団の支援はどういった形で活用される予定ですか?


田中さん)主にデザインについてご支援を頂きました。コンセプトに合う素敵なデザインに仕上げることが出来て、関係者一同、本当に感謝しています。


山本)支援が形になっているのですね。ところで、今後の開発のご予定はありますか?


田中さん)現在、次のシリーズの開発に向けて準備を進めているところで、安定供給に向けた体制づくりを行っていけるようにしていきたいと考えています。パッケージ自体は仕上がっているので、味をパターンに分けていく予定です。来年までには供給体制も整える予定で、シーズンごとのバリエーションも検討しています。


山本)それは楽しみですね。またライズ北海道でもご紹介したいと思います。本日はお忙しい中、ありがとうございました。


 

常に進化し続ける「丸タ田中青果」さんでした。


今後、同社製品の取り扱いについて、商談を進めて参りたいと思います。


道産素材と北海道の歴史の中で育まれてきた技から生まれた魅力的な商品の数々。どれもこれも漬物ファンにはおすすめの逸品です。


ノーステック財団開発支援商品である「夜のサラダ」については、第二弾の計画が進行中とのことなので、今後も注目していきたいと思います。


ニシン豊漁の時代を今に伝える「旧留萌佐賀家漁場」
〔ニシン豊漁の時代を今に伝える「旧留萌佐賀家漁場」〕

 

沿革


<田中商店~丸夕田中青果>

昭和6年      丸タ田中青果の前身、田中ナツが田中商店を営む

昭和33年    株式会社丸タ田中青果創立 代表取締役 田中常男(青果・生花取扱)

昭和49年    漬物部創設

平成7年      第二回北海道加工食品フェア優良賞受賞

平成11年    田中常男逝去、田中和子 代表取締役就任

平成15年    札幌三越店常設開始

平成18年    新社屋落成

平成20年    北海道いってみたいお店 準大賞受賞

平成20年    田中欽也醤油名匠 受賞

平成26年    北海道庁主催 北のハイグレード商品認定(ピクルス各種)

平成26年    札幌エスタ大食品店街 常設開始

平成29年    田中欽也 代表取締役就任

令和元年    カフェ「Love Vegetable Tanaka」オープン

 

企業情報

◆企業名|株式会社 丸タ田中青果
◆住所|留萌市栄町2丁目3番21号
◆電話番号|0164-42-0858